倫理と哲学のトピック 6

思想体系はその一部しか正しくない

論理学の法則にしたがい演繹された理論は正しい。
前提が真であれば帰結も真だ。
だが大抵の理論はそうではない。
特に社会学的な、思想・哲学と言ったものは。

帰納的な理論の正しさは演繹的な理論の正しさとは別の基準で判定される。
まず前提が増えれば増えるだけ、推論を重ねれば重ねるだけ不確かだ。
一方実験や事実を以て検証されれば検証されるほど確かだ。
簡単に言えば単純で短い理論の方が正しい。
にもかかわらず実際には複雑で長い理論が正しいと見なされがちだ。
これは思想に関する一つの大きなパラドックスだと言えるだろう。

何故だろう。
それはまずどんな思想であれ様々な理由で信じる人は一定の割合で存在する一方、それを否定するには単に信じないだけでは不十分だとされるからだ。
十分な理由を以て反論しなければならない。

思想に対する反駁は論理学とは異なった基準が適用される。
簡単に言えばより困難だ。
演繹では一つの例外、誤った推論、矛盾は本来体系全体を否定するがそうはならない。
まず全体をある程度理解する事が求められる。
さらにより良い理論を提供するなり検証や実験を以て否定しなければならない。

選択肢の中で最も妥当な理論を選択するというのは当然だ。
より検証された方が信用できるだろう。
問題は体系に含まれる検証されていない思想が正当化される事だ。
正しいのは体系の検証された部分に過ぎない。

妥当性という意味に加えて人々の選択した思想と言う意味でも全体の肯定は大きな問題だ。
いくつかしかない選択肢の中で、その一部が適切であると判断したが故に、その体系全てを肯定したと見なされる事が多くある。
実際には選択していないものを選択したと見なされてしまうのだ。

この手の誤りは極めて広範にみられる。
ある問題を他より多少上手く説明できた哲学者の著作が一語一句解釈される。
ある主義を信じているからと言ってその名で語られたあらゆる主張を認めた事になる。
より穏健であるというだけで信仰した宗教が事実や倫理を規定する。
同じ名を持つ主張の支持者が語った事を自分もある程度肯定したと見なされる。

例えば間接民主制のような状況で次善の策として必要な場合は確かにある。
だが、決して体系全てが正しくはないし、支持されたわけではないというのは理解しなければならない。

リアリティのある物語

小説のリアリティ

自分は小説を書かない。
ただ設定を練るのは好きだし、物語を読むときは人物やストーリーより設定に惹かれる事が多い。
物語にとってリアリティは唯一ではないが、極めて重要な要素だ。

読者としてリアリティのある小説の書き方と言うものを、書かないながらも上げていきたい。

リアリティはリアルではない

リアリティと言うのはリアルとは異なる概念だ。
リアリティとは読者にとってあたかも真実らしい、ありそうな話だと感じさせられる要素の事だ。
現実、既に知られた知見、歴史的事実に即する事は必ずしも必要ではない。
物語の制約になるならそれを排除する事はおかしくはない。

しかし読者の知っている事実を全く踏まえていない内容が出てくれば、リアリティが消え失せるという事に注意しなければならない。
事実を踏まえれば踏まえるだけ読者の幅が広くなるという事は言える。
だれもどちらか知らないならば、真実と同じくらい真実味のある嘘と言うものは存在しうる。

だからろくに取材もせずでっち上げるのもアリだ。
それはそれで仮定の世界として面白がる読者もいるだろう。

登場人物は必ずしも世界を正しく把握しない

現実の世界を見れば分かる。
物事の捉え方は様々で人によって異なる。
自分が捉えた通りに世界や集団や国が動くわけではないし、たまたま出会った二人の意見が一致したとしてもそれは必ずしも正しいからではない。
にもかかわらず小説ではそういう事が起きる。

例えば主人公が出会った人が自分と同じような考え方を持っている。
互いにそれに何の違和感も抱かない。
なぜならそれは正しいからだ。
実際の物語がそのように進んでいく。

それは要するに筆者が世の中はそういうものだと信じているだけだ。
それはたいてい正しくない。
更に読者にとっても多少共感できるところがあるにせよ、完全に同意するわけではない。

だから登場人物の持つ物事の捉え方、世界観と言ったものはそれぞれ異なっている方が現実的だ。
それぞれがそれなりに説得力があって、共感できるはずだ。
物語世界を形作るルールがあったとしてもそれは登場人物が把握していないのが当然だ。
そうすれば物語のリアリティは相当に増すと思う。

どんな世界でも人々はそれなりに普通に生きている

酷い環境においては人々は常に陰鬱に、苦しみなければ生きている。
想像力がなければ安易にそう結論しがちだ。
そうだろうか。

例えば独裁者が世界を支配したとしたら、不条理がそこら中に溢れたか。
そうはならない。
人々は多少の制約がありながらも平穏な暮らしを過ごし、それなりに説得的な理屈で不当な支配が正当化され、わざわざ歯向かう者には白い眼が向けられる。
そういった所だ。
日常的な日々の営み、食事・家事・政治に関係しない世間話・仕事のやり方、そういったものは政治体制が大きく変える事はない。

我々はたいてい自分たちの政体を信じている。
他の政体と言うのは野蛮で、その下で生きる人々は抑圧されていると。
それはある程度事実だが、誇張されている。
見た事が無いが故に、なるほど我々の世界でこうなのだからこれくらい酷いんだろう、というのは安易な想像だとしか思えない。

物語は誇張されている

007は実際のスパイとは全く異なる。
物語と言うのは往々にして派手にドラマティックになるように誇張される。
何事も現実と言うのはいささか地味だ。

同じ事は多くの事にも言える。
忍者は分かりやすいが、武士だとか、英雄だとか、なんでもいい。
派手に見せたい理由があるなら実物より派手になっていると考えていい。

リアリティのあるものを書きたいならそのあたりは割り引いて考えるのが手っ取り早い。

言葉は変化する

時代劇などを見てうんざりさせられるのは全く当時に合わない言葉遣いをしている事だ。
いや別にかつてどのように言葉が使われていたかはそれほど知らないし、大抵の視聴者もそうだろう。
だが常識から鑑み、あまりに現代的過ぎる中途半端な言い回しは見ていてもくだらない。

言葉と言うのは時代によって変化する。
そして変化し続けている。
ありふれた誤解は、近代とそれ以前に隔絶があり現代語と古語の二つが存在するという考えだ。
それは違う。
200年前には200年前の言葉が400年前には400年前の言葉があり、400年前の言葉は200年前にとっては200年前の言葉だ。
そしてそれくらいの変化がある。

時代を下れば発音自体全く違う事も知られている。
平安時代あたりになると聞き取れないだろう。
そもそも古文を読むのに苦労するというのにリアルタイムで聞き取れる方がおかしい。

あるいはその時代には存在しなかった言葉が当たり前に使われる事だ。
典型的なのは明治時代の和製漢語で知られる「自由」。
言葉を現代の物を使うにしても、その言葉が示す概念を前提に登場人物の思考や行動が進んでいくというのはおかしな話だ。

結局、それは吹き替えだとか、アメリカの作品で外国語訛りの英語を以て代用しているようなものである程度仕方がないのは理解できる。
しかし、それにしても多少の工夫と言うものはできないだろうか。
例えば翻訳調にしてみるとか、現代的概念は除外するとか。

同じことは何百年先の話にも言える。
言葉を作るというのはSFの中でも特段苦労しそうなところで、まぁリアリティのある未来語なんておよそ無理と言うものだが、少なくとも言葉が変化する事は前提にしなければならない。
要は外国に行くようなもので、慣れるのに時間がかかるくらいなのは当然だろう。

似たような話で外国人であるにも関わらず完璧な~語で話すというものもある。
それもリアリティの無い話だろう。
頑張ってその国の言葉を学んだ所で多少は訛る。
母国語であるか、長年日常的にその言葉を使ってきたなら話は別だが。
それはたいてい役者や視聴者の都合からだろうが、本当にネイティブと同等では説得力がない。

 

倫理と哲学のトピック 1

今回から柔らかな文体と論理展開で倫理と哲学のトピックを書いていくシリーズを始めます。
どうせ誰も読んでないんだから読者は意識せず、モチベーションを維持してやがてAmazonとかで電子出版する事を目標にします。
前はせっかく書くときは長文にしてしまったり、硬い文章にしてみたり、そうこうしているうちにモチベがどんどん下がっていったのでね。
文体についてはハフポストに結構書いたりしたので割と固まった気もするし。
ちなみにその内容もそのうちまとめて電子出版します。二束三文の有料でね。

現時点の目次はこんな感じ。

トピック
同一的可能世界
最終的合意
動物に合意はあり得るのか
計算に必ず意識が伴うなら
計算論における世界
Hello, World!プログラムが見る世界
事前に”Hello, World!”は分からないからそれこそ世界。
同じ世界には同じ意識しか伴わない
自己決定の話
哲学者の心構え
知的なバクテリアが観測する人間
ミクロの理解は全体の理解には及ばない
博物学的な理解も十分ではない
機能論的な分析もまた不十分だ
小規模システムの再現でもまだ足りない
進化のシステムが意識を持たないか
持たないといえるほど我々は知らない
計算として閉じた部分を探すことはできる
世界で初めての計算
我々が小説の中の世界にいないのはなぜか
言論の自由は結果の正しさ

日常の倫理
借金は返さなければならないのか
利息を取っていれば法に基づけば返さなくともいい
言論の自由はどのように保たれるべきか
国際法違反はどう対処されるべきか

まぁ気楽にね。