真実の誓い

真実と「語るべき言葉」は違う。
時に二つは重なり合うが、それは偶発的な物であり、概念としては異なる。
他人を傷つけると示された言葉は、必ずしも真実でないと証明された訳ではない。
真実は往々にして人を傷つける。

ある言葉が真に「語るべき言葉」であるならそれを語るべきだ。
トートロジーだ。
しかし、「語るべき言葉」には三つの問題がある。
一つはただ真実ではない事。
二つは語るべき事から論理的に導出される命題は必ずしも「語るべき事」にならない事。
三つは誰かにとって「語るべき言葉」は他者にとっては必ずしもそれではない事だ。
誰にとっても「語るべき言葉」となりうるのは真実しかないのかもしれない。

我々は真実を求める。
「語るべき言葉」を語る時もあたかもそれが真実かのように語る。
時に真実という言葉を「語るべき言葉」という意味で語る。
そして何が真に「語るべき言葉」なのかは有限な存在の我々には定かではない。

世界は誰かにとっての「語るべき言葉」に満ち溢れている。
それが真実であるかのようにふるまっている。
真実を求めるならばそれらを排除しなければならない。

“真実の誓い”の続きを読む

書評「空爆の歴史」

空爆、特に人民を直接的目的とした無差別爆撃を中心にその歴史を紐解く新書。
新書だけあって大変読みやすい。
内容も比較的中立的だ。
歴史書に書評など不毛で、歴史を語る学者に素人が半端な知識で反論した所で返り討ちに遭うだけだ。
とはいえ気になった点はいくつかあり、それをつらつら述べようと思う。
書評というより反論に近い。

“書評「空爆の歴史」”の続きを読む